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御朱印社領

徳川家康公が慶長8年(1603年)江戸に開いた
幕府(徳川幕府)も、幕末の外圧などに起因して、
慶応3年(1867年)徳川慶喜公が大政奉還し、
15代・265年間続いたその歴史に幕を閉じました。
 ところで、寺社の経済はどうであったのでしょうか。
神社に限れば、朱印地や黒印地でその経済が
維持された例は数多くの神社からすればごく僅かであり、
大部分の神社は自ら開墾・買得した土地あるいは大名からの寄付米などによって維持さ
れていました。

朱印地とは、江戸幕府が寺社などに対して【朱印状】を
下付してその所領を確認した土地、すなわち、
江戸時代に寺院・神社などが【将軍から朱印状の発給】を受け、
領主として知行する土地を言い、
黒印地とは、大名が寺社などに対して【黒印状】を下付して
寄進または安堵した土地、すなわち、【大名から黒印状の発給】を受けて知行する土地を言います。
 
将軍家からの【朱印状】の発給による社領安堵が一定するのは、徳川第4代将軍家綱公の時代ですが、此の頃、全国では、神社には約15万石(約1,000社)が、寺院には約18万石(約3,600寺)が朱印地として安堵されました。
黒印地は約13万石でした。
朱印地の「大」は日光東照宮の1万石から「小」は1石までありました。

江戸から明治へ(1)



因みに、一応の目安として、
徳川幕府から御朱印社領30石以上寄進されていた神社は、
現在の東京都内に鎮座する神社で見ますと、
私(宮司)の知る限りにおいては、次の通りであります。
尚、江戸時代における当社(石清水八幡宮、現・藏前神社)の朱印地200石は、
武州荏原郡六郷領の内、今泉村・御園村両所(現・大田区内)を拝領しました。
 (但し、これらは全て明治4年の〔社寺領上地令〕によって収公(没収)されたのであります。)