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社格制度

明治政府によって定められた【神社の格に関する制度】であり、
官社と諸社とに分類し、官社は朝廷に縁の深い神社が中心となって列格。
諸社のうち府県社(ふけんしゃ)は府県が崇敬する神社と規定、
郷社(ごうしゃ)は郷村の産土(うぶすな)神社とされ、郷社の下に村社(そんしゃ)が設けられました。
 然し乍ら、これらの社格は昭和21年に廃止されました。
因みに、当社が鎮座する台東区は、浅草区と下谷区が戦後統合されて誕生したのでありますが、ご参考までに、当区に鎮座する本務神社に関する旧社格一覧を示してみます。
 尚、社号はすべて現在のものであります。また、下表の何れにも登載されていない神社は無格社であります。

江戸から明治へ(2)




  思うに、当社は徳川将軍家の祈願所の1社であり、第5代将軍綱吉公が朝廷や武家からも極めて崇敬の篤い(あつ)い京都・男山の石清水八幡宮を此の地に勧請(かんじょう)したのでありますから、郷社の規定から外れていた、と言っても良いのではないでしょうか?
  もともと、明治元年の神仏分離令の布告以前は、石清水八幡宮(当社)の別当寺たる雄徳山大護院(おとこやまだいごいん)が実質的に支配しており、いわゆる、僧侶持ちでありましたので、大護院の廃寺(廃絶)により壊滅的なダメージを受けたであろう事は想像に難くありません。規模は大幅に縮小され、また、当社の前には幕府の米蔵が存在していたこと等もあり、種々の要素がネックになったと考えられます。