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赤穂義士討ち入り成功祈願

赤尾義士討ち入り
成功祈願

令和2年12月発行「中央義士会報」の記事にはとても驚きました。
それは元禄14年3月14日、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸城松之廊下で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)へ刃傷に及び即日切腹させられました。
そして、其の翌年元禄15年12月14日に吉良邸に討ち入りする直前に、堀部安兵衛らの名代で佐藤條衛門(さとうじょうえもん=堀部安兵衛の従弟)が当社に「討ち入り成功祈願」に来られていたとの事です。
 下の写真が当該義士会報です。
当社は元禄6年に創建され、境内坪数も2270余坪を有しておりましたし江戸を代表する神社の一つでしたが詳しい事情はわかりません。