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切絵図

江戸時代の地図

中心の八幡宮の正式な社号は【石清水八幡宮】(いわしみずはちまんぐう)
左の大護院は石清水八幡宮に付属して建立された別当寺の【雄徳山大護院】(おとこやまだいごいん)
右の成田不動は天保12年に日本橋から遷された【成田山御旅宿】(なりたさんおたび)です。

また、江戸末期から明治初年にかけては、地図・錦絵の鳥瞰図が流行しました。
蔦吉すなわち蔦屋吉蔵から安政年間に発行された二代広重(重宣)の本図は双六として名所・旧跡を辿れるようにしてあります。
 日本橋を振出しにして駒を進め江戸を一巡して、上がりとしての日本橋に戻ってきます。
全体として平面的な描写になってしまっていますが、眺めるだけのものではないところに注目すべきでしょう。
 当社(石清水八幡宮、現・藏前神社)は双六のマスとはなっていませんが、
目印の一つとして、【八まん】と掲載されていますので、ご参考までに供します。

 ところで、当時の人々が江戸と認識していたエリアは、東は本所深川、南は品川、西は新宿、北は王子あたりまでと思われます。
本図は上空から町を一望する形の鳥瞰図であり、背景には、富士の山が大きく誇張して描かれ、
手前には隅田川が流れ、水路とお堀が網の目のように入り組んでいます。