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勧進大相撲

宝暦7年(西暦1757年)
 10月場所番付表









当社での初めての本場所興行が開催された宝暦7年
10月場所において、木版1枚刷縦番付が初めて発行され、
本興行をもって京・大坂に従属していた江戸相撲の独立形態とみなされました。
 そして、当社での2回目の本場所が開催された宝暦11年10月場所から従来の勧進相撲が【勧進大相撲】となり、
公益財団法人日本相撲協会の直属機関でもある相撲博物館には一部の勝負付けが欠落してはおりますが、当場所からの殆どの勝負付けが現存・所蔵されております。
 当社で開催された本場所では、幾多の名勝負が見られましたが、中でも63連勝の谷風が小野川に敗れた一番は江戸中大騒ぎとなりました。
このような史実に基づいて、財団法人大日本相撲協会(現・公益財団法人日本相撲協会)から現存の社号標や石玉垣が奉納されています。
因みに、興行場所は寺社の境内が基本で、回向院・深川八幡・藏前八幡・芝神明のように有名な寺社はだいたい勧進大相撲の会場となりました。
 然し乍ら、本所の回向院での開催が次第に増え、天保4年(1833年)10月場所から回向院が定場所と決まり、
明治42年に国技館が出来るまで続きました。


当社で開催された本場所と優勝力士(当時は優勝制度がなかったので最多の勝ち星力士)を紹介します。
( 文政4年2月場所は、或る資料では蔵前大護院とありますが藏前八幡のことです)