江戸の北極星信仰
以下は平成26年「歴史読本」9月号に掲載された
「新説・異説 私はこう考える」【江戸の北極星信仰】=桂昌院によって完成した、江戸の都市を守護するプランの真実とは=と題するもので、帯広市の真宗大谷派「順進寺」坂谷徹念住職によって書かれたものです。
同住職によりますと、2年間に亘る研究成果を投稿して掲載された、との事でした。そのご労苦とご努力に対しまして深甚なる敬意を表するものであります。
北天にあって動かない北極星、
そのまわりを回る北斗七星は宇宙を支配する神と
その乗り物として古来より信仰の対象となってきた。
その信仰はわが国の仏教や神道にも取り入れられ、
星を祀り、護国鎮守、除災招福の祈願がおこなわれてきた。
江戸の都市計画にも北極星、北斗七星の力が重用されている。
単純に鬼門に神社仏閣を建立するだけでなく、
神社仏閣が北斗七星状になるように計画を練ったのだ。
どの寺社が星に該当するかについては諸説があるが、
最近では平清盛(たいらのきよもり)に関連する神社がパワースポットとも絡んで話題になっている。
しかし、都市計画をリードしていた天海(てんかい)は天台宗の僧であり、天台宗の優越性を人一倍信じていたのである。その天海が神社だけで北斗七星を構成したとすることには無理がある。
江戸の町奉行の支配する町地にあり、
朱印地が30石以上の神社は表1の通りである。
上野東照宮は寛永寺と合わせて考える。根津神社は家宣(いえのぶ)の産土神(うぶすながみ)であり家宣の江戸入城にあたり家宣の屋敷地であった現在地が献納された。
白山(はくさん)神社は綱吉(つなよし)の屋敷を建てるために現在地に遷宮させられた。
いずれも将軍の屋敷がらみの移転であり、鬼門封じの色合いは薄い。また氷川神社が移転したのは吉宗(よしむね)の代であり、都市計画の骨格はすでに固まっていた。よってこれらの神社は対象外とした。
愛宕神社防火の神様であり、防災上江戸にとって極めて重要な神社であった。
ほかもすべて江戸の守護神、祈願所として大切な神社であった。では寺院の方はどうであろうか。朱印地が500石以上は表2の通りである。増上寺は徳川家の菩提寺であり、ほかいずれも幕府の祈願寺として極めて大事な寺院であった。
徳川幕府(江戸幕府)は
江戸城の守護と江戸の都市計画にあたって、
古来より信仰の対象となってきた北極星ならびに
北斗七星の力を重用したようであります。
また、江戸の都市計画で忘れてならないのは家光(いえみつ)の側室であり綱吉の生母である桂昌院(けいしょういん)の存在である。家光の都市計画への情熱を大奥において日々感じていたが、家光は48歳で早世した。しかし、なんとしてもその思いを遂げてあげたいという気持ちは変わらなかった。家光が亡くなって29年経ったときチャンスがやってきた。実子綱吉(つなよし)が将軍位に就いたのだ。桂昌院は至孝な綱吉を動かし、護国寺、藏前神社を創建した。どちらも桂昌院の私的祈願所のように言われているが間違いだと思う。それは天海と家康(いえやす)、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)が描いた都市計画の宗教的要、北極星、北斗七星を完成させるためだったのではないだろうか。
私は以上のことから、増上寺、愛宕神社、日枝神社、神田明神、藏前神社、浅草寺、寛永寺が北斗七星、護国寺が北極星にあたると考える。